環境問題にみられる「おしつけ」
「人間が使うことで維持されてきた環境」、すなわち人里の周辺には、人間活動の変化によって生息地を失った生物がたくさんいます。これらを保全する活動には研究者や政策決定者だけでなくNPOや市民団体が関わってきました。しかし、関係者間のコミュニケーションに不全が生じることで活動の継続性が失われることがあります。人里の環境保全には「人」の存在と行動が何よりも重要です。では、なぜ生物多様性が重要なのでしょうか。そして、誰にとって重要なのでしょうか。
「なぜ重要か」の回答として、「生態系サービス※1」への依存が挙げられます。ではそれらを享受しているのは「誰か」というと私たち人類全体なのです。しかし、通常生物多様性は地方にいくほど高く、都市部では低くなります。そのため、保全活動の中心も地方になりがちです。生物多様性の保全の重要性を叫びながら何もせずに都市に住み、これらを消費する。いってみれば、生物多様性の地方へのおしつけが起こります。生物多様性のみならず、環境問題の解決策をどこかにおしつける構造はあちこちに見られます。
地域の文脈でいきる<環境ものさし>
このおしつけに科学が加担することがしばしばあります。科学的な根拠をもって「こうあるべき」と示すのは、ある意味でもっとも簡単だからです。過去にはもっと高圧的な態度で、「科学を疑うのは科学を理解していないからだ」と主張する、一種のパターナリズム(父権主義)がみられることもありました。
私が所属した「栄養循環プロジェクト」(総合地球環境学研究所)では、流域の栄養塩の不均衡の是正という大きな「目標」がありました。その目標に流域内の各地域で生物多様性保全が進むことが望ましいのではないかという仮説が立てられました。しかし、これでは流域の栄養塩の不均衡という問題を解決するために地域に生物多様性保全をおしつける構造になりかねません。だから栄養塩循環を第一の目標に据えるのではなく、まずは地域の目線でフィールドを歩きました。すると、生物多様性保全活動の中には近代化する前の農業のやり方に戻すことで、その地域に生息していた生きものを再生する方法がたくさんありました。そして、それらは栄養塩循環の改善にも寄与すると考えられました。なぜなら農業の近代化によって栄養塩循環の不均衡が引き起こされてきた面があるからです。
しかし、ここで「栄養塩循環の改善」のために昔の農法に戻すことは共感を得られるでしょうか。近代化以前の農法は少なからず不便さを伴います。自分や地域のためになるかわからない栄養塩循環の改善のためにその不便さを背負うひとは少ないでしょう。
そこでそれぞれの地域活動の結果、再生してくる生きものに着目しました。まずは地域活動が継続・発展することが重要だと考えたからです。そのためには地域ごとの「小さな目標」や「やりがい」を見つけてもらうほうがいいと思われました。これが「地域の環境ものさし」のはじまりです。ここで選ばれる生きものは必ずしも希少性の高い天然記念物などではありません。地域の文脈(農業の歴史や気象条件など)のなかで地域の人々と関わり続けてきた生きものたちです。かれらの中には農業の近代化を経てもひっそりと暮らしていて、地域住民の環境保全活動に反応してくれるものがいます。
この研究は総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会―生態システムの健全性」の枠組のなかで行い、プロジェクト終了後も継続している研究テーマです。
多様な参加者がつくりあげる科学
※1 生物多様性のはたらきで私たちが得ることができる自然の恵み。食べ物のような直接的なものだけでなく害虫抑制や気候調整など間接的なものも含む。